「北杜市いずみプール」から直線距離で半径3km以内の観光スポット・旅行・レジャーを探す/距離が近い順 (1~9施設)
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- 投稿ユーザーからの口コミ
- 車でお越しの場合には谷戸城を見つけるのは非常に難しいので、先ずは北杜市考古資料館を目的にドライブをするといいでしょう。駐車場はちゃんと北杜市考古資料館とは別にあるので、北杜市考古資料館を入館しない人は谷戸城公園駐車場に止めましょう。 舗装された細い道に「谷戸城公園駐車場」という案内がある。駐車場と言っても舗装されている訳でもなく雑草の生えた空き地のようなスペースで、正直どこにどのように止めて良いのか戸惑ってしまうが、まあそんなにいっぱい車は来ないから迷惑にならない程度に止めておけばいいと思う。 駐車場から出たら右の北杜市考古資料館の方へ歩き出す。するとすぐにその手前で古ぼけてややかすんでいるが「谷戸城跡←」の案内がある。そして北杜考古資料館の左わきを覗くとそこには立派な谷戸城跡の石碑が立っている。 谷戸城跡は北杜市考古資料館を道を挟んだ斜向かいにあるこんもりとした丘にある。入り口には「史跡谷戸城跡」の案内がある。これを見つけないとちょっとどこにあるのか不安になるかもしれない。 さて、城跡がどんなものかと胸を高鳴らせて興奮するかもしれない。が、最初にことわっておくがこの谷戸城は平安時代くらいに築城されたものと言われているのでよく想像される一般的な石垣はまだない。ちゃんと時代にあった見方をしないとせっかくの史跡に対して失礼になる。 ただここは国の史跡に指定されている。それだけ見る価値はあるということだ。 丘の中を登って行く。土と草の道。どこまで山登りをするのかと不安に思うかもしれないが、頂上まではさほどでもないので散歩のつもりで充分登り切れるので自然を楽しみながらゆっくりと登るといい。 途中途中に案内があって少し平地の空き地にが城の何であったのかを説明してくれる。そこに何か遺構や遺物がある訳ではないがこの丘そのものが史跡であることを忘れてはならない。頂上にもなにかシンボリックなものがあったりはしない。ただ眺めが良い。ちょっと丘を登っただけだが一面を見下ろせる。我々の祖先はこうしてちょっとした丘を利用して山城を築いたのである。
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- 投稿ユーザーからの口コミ
- 田んぼや畑が一面に広がって非常に見渡しがよく、これから縄文遺跡を観に行くと分かっていると何だか縄文時代に勝手にタイムスリップしたような気にさえなってしまう。 駐車場は数台。それでもちゃんとあるから助かる。なければ路上駐車になってしまいおちおち遺跡巡りができない。遺跡巡りは時間をかけてじっくりその時代に心の中をタイムスリップさせることにこそ醍醐味がある。 突然石造の「史跡 金生遺跡」が迎えてくれる。石碑ではないから表札と言ったところか。すぐ横が階段となっていて高台になっている。高台になっているせいでその先が見えない。ちょっともったいぶらせるのもいい。 階段を上がるとまつたけのような円柱のオブジェが迎えてくれる。これも縄文時代を表す何かのオブジェなのだろうか。勉強不足でその正体までは分からないが縄文時代のオブジェとしてはややすっきりしている印象だ。縄文時代と言えばやっぱり縄文式土器に見られるあの複雑かつイキイキとした文様だ。 正面に向かってほどなく歩くと案内板がある。当時のくらしを説明してくれている。ここ金生遺跡はお祭や祈りなどをささげる祭壇、祭場と言われている。今は青い空と緑の草花に挟まれているため当時のおどろおどろしさを感じることはやや難しいが、どうであろう、当時もこんな平野の真ん中だったのだろうか。確かに盆踊りの櫓みたいにここを中心にすればかなりの人数が周囲を囲めるだろうが、祭事を行う場所というともっと高台で天に近い場所を連想してしまう。まだまだ分からないことだらけのミステリアスな場所に違いない。 かの岡本太郎は縄文時代が大好きだったと聞く。彼の数々の芸術作品は縄文式土器のあの燃え上がる様な文様からインスピレーションを得たらしい。かつては縄文時代は弥生時代よりも文化的に劣っていたというのが通説であったが、現代の研究では縄文時代は決して遅れた文化ではなかったという説が有力であるらしい。個々を中心に山梨県内の地下にはすばらしい縄文時代の遺跡がまだまだ眠っているに違いない。
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- 田んぼや畑が一面に広がって非常に見渡しがよく、これから縄文遺跡を観に行くと分かっていると何だか縄文時代に勝手にタイムスリップしたような気にさえなってしまう。 駐車場は数台。それでもちゃんとあるから助かる。なければ路上駐車になってしまいおちおち遺跡巡りができない。遺跡巡りは時間をかけてじっくりその時代に心の中をタイムスリップさせることにこそ醍醐味がある。 突然石造の「史跡 金生遺跡」が迎えてくれる。石碑ではないから表札と言ったところか。すぐ横が階段となっていて高台になっている。高台になっているせいでその先が見えない。ちょっともったいぶらせるのもいい。 階段を上がるとまつたけのような円柱のオブジェが迎えてくれる。これも縄文時代を表す何かのオブジェなのだろうか。勉強不足でその正体までは分からないが縄文時代のオブジェとしてはややすっきりしている印象だ。縄文時代と言えばやっぱり縄文式土器に見られるあの複雑かつイキイキとした文様だ。 正面に向かってほどなく歩くと案内板がある。当時のくらしを説明してくれている。ここ金生遺跡はお祭や祈りなどをささげる祭壇、祭場と言われている。今は青い空と緑の草花に挟まれているため当時のおどろおどろしさを感じることはやや難しいが、どうであろう、当時もこんな平野の真ん中だったのだろうか。確かに盆踊りの櫓みたいにここを中心にすればかなりの人数が周囲を囲めるだろうが、祭事を行う場所というともっと高台で天に近い場所を連想してしまう。まだまだ分からないことだらけのミステリアスな場所に違いない。 かの岡本太郎は縄文時代が大好きだったと聞く。彼の数々の芸術作品は縄文式土器のあの燃え上がる様な文様からインスピレーションを得たらしい。かつては縄文時代は弥生時代よりも文化的に劣っていたというのが通説であったが、現代の研究では縄文時代は決して遅れた文化ではなかったという説が有力であるらしい。個々を中心に山梨県内の地下にはすばらしい縄文時代の遺跡がまだまだ眠っているに違いない。
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- 車でお越しの場合には谷戸城を見つけるのは非常に難しいので、先ずは北杜市考古資料館を目的にドライブをするといいでしょう。駐車場はちゃんと北杜市考古資料館とは別にあるので、北杜市考古資料館を入館しない人は谷戸城公園駐車場に止めましょう。 舗装された細い道に「谷戸城公園駐車場」という案内がある。駐車場と言っても舗装されている訳でもなく雑草の生えた空き地のようなスペースで、正直どこにどのように止めて良いのか戸惑ってしまうが、まあそんなにいっぱい車は来ないから迷惑にならない程度に止めておけばいいと思う。 駐車場から出たら右の北杜市考古資料館の方へ歩き出す。するとすぐにその手前で古ぼけてややかすんでいるが「谷戸城跡←」の案内がある。そして北杜考古資料館の左わきを覗くとそこには立派な谷戸城跡の石碑が立っている。 谷戸城跡は北杜市考古資料館を道を挟んだ斜向かいにあるこんもりとした丘にある。入り口には「史跡谷戸城跡」の案内がある。これを見つけないとちょっとどこにあるのか不安になるかもしれない。 さて、城跡がどんなものかと胸を高鳴らせて興奮するかもしれない。が、最初にことわっておくがこの谷戸城は平安時代くらいに築城されたものと言われているのでよく想像される一般的な石垣はまだない。ちゃんと時代にあった見方をしないとせっかくの史跡に対して失礼になる。 ただここは国の史跡に指定されている。それだけ見る価値はあるということだ。 丘の中を登って行く。土と草の道。どこまで山登りをするのかと不安に思うかもしれないが、頂上まではさほどでもないので散歩のつもりで充分登り切れるので自然を楽しみながらゆっくりと登るといい。 途中途中に案内があって少し平地の空き地にが城の何であったのかを説明してくれる。そこに何か遺構や遺物がある訳ではないがこの丘そのものが史跡であることを忘れてはならない。頂上にもなにかシンボリックなものがあったりはしない。ただ眺めが良い。ちょっと丘を登っただけだが一面を見下ろせる。我々の祖先はこうしてちょっとした丘を利用して山城を築いたのである。
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