施設検索/ホームメイト・リサーチ

ご希望のプール情報を無料で検索できます。

ホームメイトプールリサーチ

プール情報

前畑秀子選手の経歴



前畑秀子(兵藤秀子)選手は、1914年、和歌山県生まれの水泳選手です。専門種目は平泳ぎで、日本水泳界の第一人者として活躍しました。1932年のロサンゼルスオリンピック「女子200m平泳ぎ」銀メダル、1936年ベルリンオリンピック「女子200m平泳ぎ」で金メダルを獲得しています。ベルリンオリンピックでの金メダルは、日本人女子選手として初めて金メダルを獲りました。

引退後は、水泳インストラクターとして、水泳の指導や日本の競泳界の底上げに尽力しました。前畑選手が開設した「ママさん水泳教室」「中高年水泳教室」は、いずれも日本で初めてのものです。1981年には世界水泳殿堂入りを果たし、五輪功労賞を受賞しました。1990年には、日本女子スポーツ界において初めて文化功労者に選ばれました。1995年、急性腎不全のため死去、享年80歳でした。

前畑秀子選手のオリンピック成績

前畑秀子選手のオリンピック成績

前畑秀子選手はオリンピックで主に2つの戦績を残しました。

1932年のロサンゼルスオリンピック「女子200m平泳ぎ」銀メダル
金メダルを獲得したオーストラリアのクレア・デニス選手と、わずか0.1秒差での銀メダルでした。
1936年ベルリンオリンピック「女子200m平泳ぎ」金メダル
銀メダルとなったドイツのマルタ・ゲネンゲル選手とのタイム差は1秒でした。日本人女性で初となる歴史的な金メダルでした。

金メダルへのプレッシャー

ロサンゼルスオリンピックで銀メダルを獲得した直後、前畑秀子選手は引退を考えていました。しかし、東京オリンピック誘致に奔走していた永田秀次郎東京市長に「なぜ、金メダルを獲れなかったのだ」と言われるなど、周囲からのプレッシャーは強く、現役続投を決意します。続投を決めたあとは、1日に20,000mも泳ぐなど練習を徹底し、翌1933年には、「女子200m平泳ぎ」の世界新記録をたたき出しました。そして、1936年のベルリンオリンピックを迎えます。「負けたら日本に帰れない」という覚悟で臨み、ゲネンゲル選手とデッドヒートを繰り広げ、1秒という僅差で勝利を収めます。このときを振り返って前畑選手は「泳いでいる間はとにかく夢中。日本の神様、助けて下さい」と祈りながら泳いだと話しています。

「前畑がんばれ」実況レコード

1936年のベルリンオリンピックでは、NHKの河西三省アナウンサーが実況を務めました。このとき河西アナウンサーは興奮のあまり「前畑がんばれ!」とマイクの前で24回も叫び、多くの人に感動を与える一助となりました。また、ゴールしたあとも「勝った勝った。前畑勝った」と18回も歓喜の言葉を繰り出したそうです。この実況を録音したレコードがすぐさま発売され、11万枚を超える大ヒットレコードとなりました。なかには類似品まで出回り、日本中が前畑秀子選手の活躍に熱狂した様子が伺えます。